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中1で動名詞!?──英語の文法を学ぶ意味

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中1で動名詞!?

今年改訂された中1の英語の教科書を見ていると、驚くことがあります。
それは、現在進行形や過去形、さらにはいわゆる「三単現のs」をしっかり学ぶ前に、過去形と動名詞が登場しているということです(動名詞は本来2年生の範囲です)。

たとえば、こんな例文です。

“I went (=go の過去形) to Okinawa last summer.”
“I enjoyed swimming (=動名詞).”

「去年の夏休みの思い出を英語で話せるようにしよう」とか、「小学校の延長で会話から入ろう」という意図は伝わりますが、それにしても中1の段階で扱うには、文法的にあまりに高度な文章です。

これを、過去形も、三単現のsすらも、まだ習っていない子どもたちに、先生たちはどう説明しろと言うのでしょうか。
これは本当に「(文法的にわからなくても)意味がわかればOK」といって済ませてしまっていいのでしょうか?

私自身の海外経験から

もちろん私自身、「意味がわかればOK」という感覚がわからないわけではありません。
というのも、私は小4から中1の約4年間、アメリカで暮らしていました。そこでは現地の小中学校に通い、1日12時間くらいはほとんど英語漬けの生活でした。
文法なんてやらずとも、自然と英語が身についていった感覚はたしかにあります。

それでも、私はESL(英語を母語としない子ども向けの英語クラス)を卒業できませんでした。(たしか、最上位クラスまでは行ったけれど、最後の壁を突破できなかった記憶があります。)
つまり、毎日英語漬けでも、「完璧に話せるようになる」というのは本当に難しいことなんです。

じゃあ、日本の中学生はどうでしょうか?
英語に触れる時間は、学校の授業でせいぜい週に4〜5時間程度。しかも、その多くは日本語で行われています。英会話スクールに通っている子でも、週に1〜2回がいいところでしょう。
そうした環境で、「文法は後回し」「会話から入ろう」という方針は、やはり少し無理があると思います。

そもそも、「使える英語」とは?

そもそも、「使える英語」とは何でしょうか?
今の日本の英語教育では、それを「英語で会話ができること」「伝えたいことを伝えられること」といったコミュニケーション能力に強く寄せているように感じます。
もちろん、それも大切な視点です。でも、日本で暮らす中学生が、そのレベルの英語を「自然に」身につけるのは、現実的に考えてやっぱり難しいと思います。

しかも、皮肉なことに──将来、社会で英語を“使う”場面って、会話よりもむしろ「英文を読んだり書いたりする」ことの方が圧倒的に多いはずです。
ビジネスシーンや大学、研究や情報収集の場面で求められるのは、英文を正確に読み取る力、そして論理的に書く力。
それには、文法の知識が必要不可欠であることは言うまでもありません。

つまり今の教育は、「使える英語が大事」と言いながら、“使うために絶対必要な土台”である文法を軽視してしまっている
それはどこか、矛盾しているように思えてなりません。

たとえば中3で習う「関係代名詞」
ネイティブは当たり前のように使っていますが、日本人である私たちがそれを読めて、話せるレベルで使えるようになるには、やっぱり「これが関係代名詞だ」と、“意識的に”学ぶ必要がある。
そういう“意識化された学び”がなければ、使いこなすことは難しい。

もちろん、文法を学んだからといって、すぐに読めるようになるわけでも、話せるようになるわけでもありません。
でも、文法を知っていることが、話せるようになるための、あるいは読めるようになるための“下地”になる。それは間違いないはずです。

大人の「中高の勉強は意味がなかった」の中身

そしてもう一つ考えたいのは、大人たち(私も含む)がよく使う「中高でやった英語なんて意味なかったよね」といった言葉です。
たしかに中高で学んだ細かい文法事項や、単語の一つ一つが、直接的に今の生活に結びついているとはなかなか思えません。そもそも何を学んだかすら思い出せないことも多々あると思います。
でもそれはきっと、当時学んだ文法や単語が、今の自分の英語力の“土台”になっていることに気づいていないだけなんだと思います。土台というのは、たいてい目に見えません。

つまり、中高で習う英語の文法というのは、「使える英語」の準備運動のようなもので、一見遠回りに見えるけれど、実はそれが一番の近道なんじゃないか──私はそう考えています。

今の子どもたちにとって、本当に必要な英語教育とは

ただし、これは今の学校の英語教育を否定したいわけではありません。
ましてや、学校の先生たちを責めたいわけでもありません。

文法も大事。コミュニケーションも大事。
それは言うまでもないことです。

たしかに、かつての日本の英語教育は文法偏重だった、という反省があったのだと思います。「読めるけど話せない」「筆記テストは解けても会話はできない」という声も大きかったのは事実なのだろうと、想像できます。
そして、そうした過去をふまえて、「使える英語を!」という方向に舵を切ったのは、ある意味では自然な流れだったのかもしれません。

でも──だからといって、“文法を軽視してもいい”ということにはならないはずです。
「話せるようになる」ためにも、「読めるようになる」ためにも、文法はとても大切な基礎です。
そういった基礎の積み重ねなく、「なんとなく話せる」英語だけを求めていくのは、本末転倒です。

今の英語教育の流れ──特に国が推進している方針や、それに沿って作られている教科書の内容──には、「行き過ぎている」部分があるように感じます。
「会話重視」「表現重視」と言いながら、そのせいで英語が嫌いになってしまっている子どもたちが増えているように思います。
そして、その“行き過ぎた方針”が、現場の先生たちにも、ものすごく大きな負担をかけているようにも見えます。


「コミュニケーション重視」という日本の英語教育の大きな流れと、現実とのギャップ。
それにちゃんと目を向けながら、目の前の子どもたちにとって本当に必要な学び方を考えていきたいと、強く思います。


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