今週、一部の生徒が宿題の丸つけをせずに持ってきたので、注意をしつつ、授業の中で「そもそも宿題は何のためにやるのか」という話をしました。
宿題というのは、先生に提出するための義務ではありません。
あくまで、自分の力を確かめ、定着させていくためにあるのです。
そう考えると、「丸つけをしていない宿題」は、やっていないのと同じなのです。
宿題の目的は二つ
① 忘れないための復習
授業で習い、演習である程度「できるようになった」と思っても、人間は一週間も経てば驚くほど多くのことを忘れてしまいます。
だからこそ、次の授業までにもう一度問題を解いて、思い出す作業が必要になる。
“習う→忘れる→思い出す”
その繰り返しの中で、知識や考え方が定着していきます。
これが宿題の一つ目の目的です。
② 間違いに気づくため
もう一つ大事なのは、自分がまだ理解できていない部分に気づくこと。そしてそのためにこそ、丸つけがあります。
答え合わせをして、「どこで、なぜ間違えたのか」を考える。
それを修正する時間こそが、勉強の本丸です。
丸つけをせずに宿題を持ってくるというのは、極端に言えば「やっていないのと同じ」です。
自分が間違えたかどうかも分からないままでは、学びを獲得することができないからです。
「提出するための宿題」という勘違い
ではなぜ、子どもたちは丸つけをせずに宿題を出してしまうのか。
それは、宿題を「先生に提出するためのもの」と思っているからです。
この発想の根底には、「先生に言われたからやる」という従順さがあります。
けれども、その従順さは同時に「自分の人生の主導権を他人に渡してしまう」という危うさを孕んでいます。
「先生に従うことが生き延びるための唯一の方法」になってしまえば、自分の人生を生きる、ということはできなくなります。私は、子どもたちにそうなってほしくないと、切に願っています。
ており舎で大切にしていること
ており舎では、提出することよりも「できるようにすること」つまり「問題を解けるようにすること」を大切にしています。
宿題は単なる提出物ではなく、自分がテスト本番で解けるようにするための練習です。
そのために大切なのは――
- 全部できなくてもいい。 できるようになるまで考えること。
- 1問に1時間かかってもいい。 深く考えた分だけ、理解は確かになる。
- 間違えた箇所を分析する。 なぜ間違えたのかを言葉にする。
こういったことが大事だと信じています。
数学なら、計算過程を丁寧に残し、間違えた箇所を赤で書き加える。または別解を考える。
英語なら、覚えてない単語に線を引く。主語と動詞に線を引いてから考える。
そうした“地味な作業”の積み重ねが、最終的に「本番で解ける力」になります。
おわりに
宿題の意味と目的を勘違いしてはいけません。
それは「提出するため」でも、「先生のため」でもない。
自分の力をつけるためのものです。
丸つけをして、間違いに気づき、もう一度解く。
その繰り返しの中で、ほんとうの学力(こんなものがあるのかは分かりませんが)がついていく。
ており舎では、こうした「宿題をする意味と目的」を、これからも子どもたちに徹底して問うていきたいと思います。
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