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子どもの「なぜ勉強するの?」に、どう答えるか。

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「なぜ勉強するの?」にうまく答えられない

よく子どもたちに、「なんで勉強なんかしなきゃいけないんですか?」と聞かれます(今年は特に中1が多いです)。
今日の中1の授業中も、文章から等式を作るという授業のとき「こんなの生活に使わないのになんでやるんですか?」と聞かれました。

「なぜ勉強するのか?」と聞かれて、自分が子どもたちよりも少しだけ長く生きてきた経験から、色々なことを言えます。

「将来つく職業によっては、こういった知識も必要になる」
「いい就職をするためには学歴が必要で、大学受験に向けた勉強(の準備)をしている」
「中学校で習ったことが、(実際の生活や仕事では使われずとも)自分の人生を豊かにしてくれる」
「勉強をすると世界を見る見方が1つじゃないことを実感できる」
「勉強をすると抽象を扱えるようになる」

こういったもっともらしい回答はいくらでも言えるし、それで子どもたちを一応納得させることはできるかもしれません。しかし、私の実感としては、中高時代にしていた勉強が今の自分にどう役に立っているか、実はよくわかっていない、というのが本音です。だから、中高の勉強が将来の自分に確実に役に立つか、と自信を持って言えるかというと、正直難しい。

役に立つものだけを勉強するだけでいいのか?

でも、それでは今の生活に役立っていること、将来役立つであろうことだけを学ぶ、というだけで本当にいいのでしょうか?そうは思いませんし、この「いつ、どうやって役に立つかわからないもの」を学ぶこと自体が、勉強というものの醍醐味なのではないかと思うのです。そうやって「役に立つかわからないもの」を勉強できる世界こそが、豊かな世界だと思います。

私自身、大学を卒業してから哲学だったり精神分析といった分野の勉強をしています。大学は経済学部だったので、哲学や精神分析について専門的な知識があるわけでもないうえ、それらが今の塾講師という仕事にどう役立つか、全くわかっていませんでした。
しかし、塾講師になる前、IT企業で技術職をしていた頃に読んだ國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』や『中動態の世界』という本を読んだとき、それらが単純に「面白い」と思えた。そして、「これは自分にとって必要なものだ」となんの根拠もなく思えたのです。そういった純粋な知的好奇心のようなものが自分の中から自然と湧き出てきたとき、導かれるように哲学や精神分析の本を買い漁り、仕事の合間にずっと読んでいました。

いつ、どうやって、どのくらい自分の人生に影響するかわからないものを勉強するからこそ、面白いのだと思います。今やっている勉強が、将来何にどうやって役立つか予めわかっているものを勉強したって、あまり面白くない。(資格試験や受験勉強はその最たるもので、だからこそ、最短距離で効率よく進めるやり方を求める意味がある)

「役に立つ=お金になる」という現代資本主義的価値観

また、役に立つ、という言葉の意味も、もう一度考える必要があるのではないでしょうか?

ここでいう「役に立つ」という言葉はほとんどの場合、「将来お金を稼ぐことにつながるかどうか」という意味だと思っています。つまり、“将来役に立つ”とは、“お金になる”という意味で使われることが多いのです。
すべての勉強がお金という一つの尺度で測られる、いかにも現代らしい価値観です。この意味で考えれば、役に立たないものは意味がない、ということは、お金にならないものはすべて無意味、ということにもなってくる。

では、お金だけがすべての物事の尺度になってしまう世界が、本当に豊かな世界なのでしょうか?
私はそうは思いません。お金なんか関係なく、自分が面白いと思ったものを思い切り勉強できたり、追求することができる世界の方がよっぽど面白いと思います。だからこそ、役に立つものだけを勉強すればいい=お金になることだけを勉強すればいい、という価値観には疑問符をつけたい。

子どもたちは、「世界そのもの」を味わっている

日々子どもたちと接していると、子どもたちは「なんで勉強をしないといけないの?」とブツブツ言いながらも机に向かい、問題を解いている、ということに気づきます。私が「世界の見方が広がっていくのが面白いんだよ!」といっても、「うーん…」と煮え切らない表情をしながらも、改めて問題集やテキストに目を落とし、問題を解き始めます。つまり、子どもたちはそこで大人に対して、本当に勉強をする目的や意味を求めているわけではない
それをやる意味も、将来どう役に立つかもよくわからないものを、「とりあえずやらないといけないから」と言いながらやることで、子どもたちは、思い通りにいかないこの「世界そのもの」を、そのまま味わっているのだと思います。

将来どう役に立つかわからないものを勉強すること。それは不安を生み出すと同時に、とてつもない希望も生み出してくれると思います。どうなるかわからないからこそ、ワクワクしてくる。
その不安とワクワクというアンビバレントな感情に決して蓋をせず、その二つの間を行ったり来たりしながら、子どもたちと、勉強を通して、この世界を一緒に味わっていきたいと思います。

哲学者・千葉雅也の言葉

最後に、哲学者の千葉雅也が、福岡で学習塾を経営している教育者の鳥羽和久との対談(『学びがわからなくなったときに読む本』)で語っていた言葉を引用してみます。

最近はYouTubeで教養講座とか、聞くだけで身につくビジネス英語とか、わかりやすい文章が書けるようになるための本とか、稼ぐためのスキルがササッと身につくタイパのいい勉強ばかりが注目されています。確かにそういう勉強が必要な局面もあることにはある。でもそれだけじゃなくて、じっくりと時間をかけた晩餐(ばんさん)みたいな勉強に取り組んでほしい。

『学びがわからなくなったときに読む本』鳥羽和久

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